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朝鮮の王宮 > 慶熙宫
慶熙宫
◎ 元宗の邸宅跡に建てた朝鮮後期の代表的な離宮
慶煕宮は、光海君8年(1616)に仁祖の父である元宗が住んだ塞門洞の邸宅跡に建てた宮闕である。当初は敬徳宮と呼ばれたが、英祖36年(1760)に慶煕宮へと改称した。景福宮が北闕、昌徳宮が東闕であるように、慶煕宮は西闕といわれ、新門内大闕または、塞門洞大闕とも呼ばれた。

◎ 慶煕宮に最初に住んだ王―仁祖
慶熙宮はもともと仁祖の生父・元宗の私邸である塞門洞の家の跡地があった所で、ここは王気が立ちこめているという風水説の提案を聞いて光海君が、光海君8年(1616年)、宮闕の建立を開始し、慶徳宮と呼んだ。しかし、光海君は、仁祖反正により宮の完成を見ていない1623年に廃位されてしまった。
慶煕宮に王が住み始めたのは仁祖の時からだ。 仁祖の時、「李适の乱」が起こり、王が住んでいた昌慶宮が火で燃えた。居所を移動しなければならなかった仁祖は、1624年2月から慶煕宮に住むようになった。この時から慶煕宮は280年余りの間、複数の王の居所として昌徳宮と共に使用された。
慶煕宮に王が住み始めたのは、仁祖の代からである。仁祖の代に李适の乱が起こり、王の居所だった昌慶宮が焼失した。居所を移す必要に迫られた仁祖は、1624年2月から慶煕宮に住むことになった。この時から慶煕宮は280余年間、王の居所として昌徳宮とともに用いられた。
王が住んだ時期には、約7万余坪の敷地に会祥殿、隆福殿、集慶堂、興政堂、崇政殿、興化門、黄鶴亭などの建物があった。
◎ 慶煕宮が王宮跡だけになったわけは?日本の侵略により、日本によって強制撤去された!
慶煕宮の本来の規模は約7万余坪であった。しかし、日本が韓半島を侵略し始めた1907年から1910年にかけて強制的に撤去されてしまった。その後、慶煕宮は跡のみが残り、存在価値を失った。王宮跡も徹底的に破壊・変形され、結局現在の規模にまで縮小された。慶煕宮の隆福殿と集慶堂はなくなり、他の建物は他の場所へと移された。
慶煕宮跡が宮闕であったことを示す遺物には、正殿だった崇政殿の基壇部のほか、本来の位置から移された石獣や台石などがある。また、空き地の北には積み石の築台があるが、長さ約100mで、建物に上がる階段には、竜の頭の彫刻と雲紋が刻まれている。
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