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朝鮮の王陵 > 思陵
思陵
◎ 朝鮮第6代王端宗の妃である定順王后(1440~1521)宋氏の陵である。
定順王后は、端宗2年(1454)に王妃に冊封された。その翌年に端宗が首陽大君に王位を譲って上王になると、王后も懿徳王大妃に進封された。しかし、1457年に端宗を復位させようとした死六臣事件により、端宗は魯山君、大妃は夫人へと降封された。その後、魯山君は江原道寧越へ流配され、王后は端宗と生き別れのまま、東大門の外の燕尾亭洞に藁葺き屋根を建てて浄業院(現在の青竜寺)と名付け、端宗を想いながら過ごした。端宗が17歳の若さで亡くなったことを知った定順王后は、毎日寺の裏にある峰に登って寧越を眺めながら悲痛に暮れた。定順王后は子のいないまま82歳まで生きた。中宗は、端宗代から7代におよぶ王代を生きた定順王后を大群夫人の礼により手厚く葬った。端宗の妹である敬恵公主が、自分の嫁いだ鄭氏(海州鄭氏)家族の墓域に安置して祭った。その後、1698年に粛宗によって魯山君を端宗大王に復位させると、夫人も定順王后へと復位した。位牌は昌慶宮に祀られた後、宗廟へ安置された。生涯端宗を想いながら過ごしたことにちなんで、陵号は思陵と付けられた。

①思陵は、大郡夫人の礼で葬儀を行った後、王后陵へ追封された。他の陵と比べてこぢんまりとしている。陵寝が3面の囲い塀で囲まれているが、屏風石と欄干石はない。

②石物の大きさは小さい。

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