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朝鮮の王陵 > 隆陵
隆陵
◎ 朝鮮第21代王の英祖の次男で、正祖の父・荘献世子(思悼世子、1735~62) 荘祖と妃・恵慶宮洪氏(献敬懿皇后、1735~1815)の合葬陵である。

腹違いの兄の孝章世子(追尊後に真宗と改称)が若くして亡くなったため、英祖が40歳を過ぎてから誕生した荘献世子が、わずか2歳で王世子に冊封された。荘献世子が父である英祖に代わって執政すると、老論派は英祖の継妃である定順王后や淑儀文氏を取り込んで謀略をめぐらし、荘献世子は米櫃に閉じ込められて殺された。1762年、英祖は28歳の若さで悲劇の死を遂げた荘献世子を悔やみ、諡号を思悼、廟号を垂恩墓と名付けた。思悼とは、「世子を思いつつ追悼する」という意味である。
恵慶宮洪氏は、思悼世子の死を私小説体で綴った『恨中録』を残した。恵慶宮洪氏は、思悼世子が亡くなった直後の1762年に恵嬪の号を授かった。思悼世子の陵は、本来京畿道楊州郡の南の中浪浦拝峰山にあったが、正祖が即位すると、直ちに父である思悼世子の尊号を荘献に格上げし、1789年にここに墓を移し、陵号を隆陵に改称した。また、高宗の時に懿皇帝に追尊され、母も懿皇后に格上げされた。

①正祖は、隆陵の造成に力を注いだ。世子の墓であるのに、屏風石を設置し、武石人も建てた。父である思悼世子が亡くなった後も孝行を尽くす正祖の姿が垣間見られる。石馬が武石人の横にだけ1体ずつあるだけなのが特徴である。本来楊州郡拝峰山に墓が作られ、永祐園と呼ばれたが、現在の花山の麓に移された後は顕隆園と称された。

②陵の周囲を屏風石で囲い、魂遊石と八角形の長明灯、文武官石人が建てられ、後ろは囲い塀で囲まれている。正祖は、不幸な人生を送った父の墓を同格の園よりも立派に象設した。これは、正祖の父に対する孝行心の表れであり、王陵の象設だけは美しく飾りたかった正祖の心情がよく分かる。

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