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石窟庵 仏国寺(1995)
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石窟庵

石窟庵 仏国寺1

石窟庵は西暦751年、新羅景徳王の時に宰相であった金大城が建て始め、西暦774年の新羅恵恭王の時に完成した。建立当時は石仏寺と称した。石窟庵の石窟は白色の花崗岩を利用して吐含山の中腹に築造された。その内部空間には本尊である釈迦如来像を中心にその主壁に菩薩像および弟子像と金剛力士像、天王像など総39体の仏像が彫刻されている。石窟庵の石窟は長方形の前室と円形の主室が通路でつながっているが360余板の板石で円形主室のドーム形天井などを巧妙に構築した建築技法は世界にも類例がない。石窟庵の入口側に位置する平面四角形の前室には左右に4体ずつ八部神将が置かれ、通路の左右入口には金剛力士像、狭い通路には2体ずつ四天王像が彫刻されている。

石窟庵 仏国寺2

主室入口には左右に八角石柱を建て、ここを通ると平面円形の主室へ続いている。本尊は中心から少し後ろに安置されており、入口の左右は天部像2体、菩薩像2体、羅漢像10体で主壁が満たされ、本尊の正・後面には十一面観音菩薩像がある。 円熟した彫刻技術と写実的に表現された完璧に近い釈迦如来像、10体の顔と全身が華麗に彫刻された十一面観音菩薩像、仁王像の勇ましさ、四天王像の威厳、主室内の多くの菩薩の柔らかく優雅な姿、個性ある羅漢像の表現などは東アジア仏教彫刻の最高傑作といえる

石窟庵 仏国寺3

天体を象徴する球状の空間に至ると中心部に高さ350cmの雄大かつ穏やかな姿の釈迦大仏が東海を向いて鎮座している。 顔と肩をあらわした服のひだに躍動感があり仏像全体に生命感があふれている。深い冥想にふけるような細く開いた目と、うっすらと笑みを浮かべた赤い唇、ふくよかな顔は謹厳で慈悲深い表情である。手は降魔触地印で左手は禅定印を組み、右手は膝にかけたまま人差し指で地を指している。 これは釈迦牟尼が大きな悟りを得、諸悪の妨害と誘惑を退けた勝利の瞬間、すなわち悟りを得た姿を表していることから成道像と言う。 龕室(がん室)は主室での位置から見て地上界と天上界の中間を意味する。これは教理的な面からみれば菩薩が覚者である如来と無明衆生の中間的存在という点と合致する。弥勒菩薩像の右肩、手首、右膝を結ぶ直角三角形が安定感を与える一方で、立膝、斜めにのせた腕、うなだれた顔のなす曲線は変化と動きを表現している。 かつて唐の玄奘(602~664)が17年間中央アジアとインドの聖地を巡礼した後、書いた風物地理誌『大唐西域記』には釈迦牟尼が悟りを開いたまさにその場所に大覚寺が立てられており、そこに正覚を開いた姿の仏像が足を組み右足を上にのせ、左手は股の上に横たえ右手を垂らし、東を向いて座っている。

前室壁面にある 8体の八部衆像は無邪の性格をもち仏法を守護するさまざまな姿の神々であり、スカートをはいた金剛力士像もまた仏法を守護する一対の守門将で上体の筋肉が発達した勇猛な姿をしているが、金剛杵を持っていたことから金鋼力士と称された。 釈迦牟尼大仏が座っている場所である丸い主室の後壁の中央の一番奥にひっそりとたたずむ十一面観音菩薩像の美しい姿は私達の心を魅了させる。 頭まわりに10の顔が華麗で繊細に彫刻されて人目をひいており、うっすらと笑みを含んだ表情、華麗に全面を飾る瓔珞(玉や貴金属に紐を通して作った装身具)装飾、流麗に垂れ下がった天衣、手足の指の微妙な動き、左手には一輪の蓮の花がさしてある瓶を持ち、右手は下ろし、瓔珞をつかみ正面観の姿勢で立っている姿から華麗さと円熟味が感じられる。

8世紀半ばの統一新羅文化の黄金期に建立された石窟庵は仏教思想と非常に発達した数理的原理をもとにした高度な建築技術、優れた造形感覚によって完成した。私達が石窟庵で感じる荘厳さや崇高さは、これらの要素とその中に内在する調和にあると言える。 石窟庵は釈迦牟尼が正覚、つまり悟りを得た瞬間を可視的な建築と彫刻によって再現したものであり、彫刻においても人為的な技巧や不自然さがみられず、生命力にあふれ、豊かな技法と卓越した芸術性が際立っている。絶対的な境地である正覚を通じて、人間、釈迦牟尼は形而上学的存在である釈迦如来となり、この世は法戒という理想郷となる。

この石窟は統一新羅時代の全盛期に造成された最高傑作として評価することができ、その造営計画において建築、修理、幾何学、宗教、芸術の各分野が一体となり実現したものである。 石窟庵の石窟は国宝第24号として指定管理されており、石窟庵は1995年12月に仏国寺とともにユネスコ世界文化遺産に共同登録された。


仏国寺

石窟庵 仏国寺4

仏国寺は石窟庵と同様西暦751年、新羅景徳王の時代に金大城が創建し、西暦774年、新羅恵恭王の時代に完成した。 吐含山西側のふもとの斜面にある仏国寺は、広遠な仏教思想と天才芸術家の魂が独創的な形で表現されており、世界的にもその優位性が認められている記念碑的な芸術品である。

仏国寺は新羅人が描いた仏の国、理想的な彼岸の世界を地上に置き換えたもので、法華経に基づく釈迦牟尼仏の娑婆世界、無量寿経に基づく阿弥陀仏の極楽世界、そして華厳経に基づく毘盧遮那仏の蓮華蔵世界を形象化したものである。 仏国寺の建築構造は大きく2つの区域に分かれている。その一つは、大雄殿を中心に青雲橋、白雲橋、紫霞門、泛影楼、左経楼、多宝塔と釈迦塔、無説殿などがある区域で、もう一つは、極楽殿を中心に七宝橋、蓮花橋、安養門などがある区域である。

仏国寺の正面から見て壮大でかつ独特な石造建築は創建当時の8世紀の遺物であり、その上の木造建物は兵火で焼失されたため、18世紀に再建したものであり、回廊は1960年代に復元したものである。仏国寺の石造建築は、長短の長台石、アーチ石、丸く彫り出された柱石、欄干石など、巧みに施された石材が華やかに配置されており、特に蓮花橋と七宝橋の精巧な彫りの石柱と丸い石の欄干は、精巧さ、荘厳さ、柔らかさが際立ち、見る人を感動させる。

仏国寺にある高さ8.2mの三層石塔である釈迦塔は石材の各パーツと全体のバランスがよく、シンプルでありながら荘重な趣があり、高さ10.4mの多宝塔は正方形の基壇の上に精巧に彫られた様々な石材が木材建築のように組み立てられており、装飾に富む荘厳華麗な美しさ、独特な構造と独創的な表現技法は芸術性に優れていると評価されている。 仏国寺は史跡第502号に指定管理されており、仏国寺内にある主な文化財としては多宝塔(国宝第20号)、釈迦塔(国宝第21号)、青雲橋と白雲橋(国宝第23号)、蓮華橋と七宝橋(国宝第22号)、金銅阿弥陀如来坐像(国宝第27号)、毘盧遮那仏(国宝第26号)などがあり、1995年12月に石窟庵とともに世界文化遺産に登録された。