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百済歴史遺跡地区 (2015)
百済歴史遺跡地区

百済とは、紀元前18年から西暦660年までの約700年間にわたって韓半島南西部を支配した古王国の名である。百済歴史遺跡は韓半島の中西部に位置する8つの考古学的遺跡によって構成された遺跡群である。公山城(コンサンソン)と公州(コンジュ)・宋山里(ソンサンリ)の王陵、扶余(プヨ)・扶蘇山城(プソサンソン)、官北里(クァンブクリ)における政府機関の建築と羅城(ナソン)、王宮里(ワングンリ)の宮殿と弥勒寺(ミルクサ)がそれである。

百済歴史遺跡地区は、5~7世紀において、韓国・中国・日本という東アジア三国の古代王国間の交流や、その結果発展した建築技術、そして仏教の拡大を示す考古学的遺跡群である。また、首都の立地、仏教寺院と古墳群、建築物と石塔などからは、韓国の古王国・百済の華やかな文化・宗教・芸術美をうかがい知ることができる。これらのすべての要素は、同遺跡が東アジア三国、つまり韓国・中国・日本の相互交流の歴史をも示唆していると同時に、百済の来世に対する世界観や宗教、建築技術、芸術美など百済の歴史と文化を知る上で非常に重要な資料となっている。

古代都城の必須要件といえる山城、王宮、外郭城、王陵、仏教寺院はすべて百済歴史遺跡地区に含まれており、これらは顕著な普遍的価値を示している。同遺跡群は百済建築構造の重要な証拠資料となっていると同時に、明確な技術の進歩と発展の様子が完全な状態で保存されている。山城、城壁、王陵の地形、交通路としての立地も同遺跡群における重要な要素であり、これらは世界遺産登録申請遺跡との緩衝地帯に含まれている。遺跡群のすべての要素は、それぞれ国家指定文化財となっており、古代の首都である三市に対しては持続的かつ包括的な保存政策が行われている。

さらに、考古遺跡、山城、王陵、石塔の建築構造、都市全体のレイアウトは真正性を保っている。登録申請の文化遺産を構成するすべての要素は、真正性を決定づけるすべての側面の歴史的証拠を依然として保っているのである。

登録の基準

基準(ii):百済歴史遺跡地区の考古遺跡と建築物は、韓国と中国、そして日本に存在した東アジアの古代王国間の交流が活発に行われたこと、そしてその交流が建築技術の発展と仏教の拡大をもたらしたことを示している。

基準(iii):首都の立地選定からは百済の歴史を、仏教寺院からは百済の来世に関する世界観と宗教を、城郭や建築物の下部構造などからは百済独自の建築技術を、古墳と石塔からは百済の芸術美を窺うことができる。これらの遺跡群は、消えてしまった百済の文化と歴史を知る上で重要な手がかりを示す資料となっている。