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国家遺産の紹介

慶熙宮

  • 慶熙宮 地图
  • 史跡に指定された慶熙宮は、朝鮮後期の離宮だった。1617年(光海君9年)から1920年の間に建てられた慶熙宮は、元々は敬徳宮と呼ばれていたが、英祖36年(1760)にその名が改められた。慶熙宮は、都城の西側に位置することから西闕とも呼ばれたが、これは、昌徳宮と昌慶宮を合わせて東闕と呼んだのと対比される別称だ。文禄・慶長の役当時、景福宮が火災で焼失した後、興宣大院君が再建するまでは、東闕の昌徳宮と昌慶宮が法宮(国王が居住し、国事を行っていた宮)となり、西闕の慶熙宮が離宮として使用されていた。慶熙宮には、正殿である崇政殿をはじめ、便殿(休息のために設けられた御殿)である資政殿、寝殿である隆福殿、会祥殿など、大小100棟にのぼる建物が存在していた。しかし、興宣大院君が景福宮を再建した際に、慶熙宮にあった建物の大部分を移転し、特に日本による植民地支配によって国を取り巻く環境が厳しさを増してからというもの、慶熙宮はいよいよ受難の中心に置かれるようになった。1910年、日本人のための学校である京城中学が建てられ、崇政殿など慶熙宮に残っていた重要な殿閣の大部分が取り壊された上、その面積も半分程度に縮小された。これにより、宮廷としての慶熙宮の姿は失われてしまった。 ソウル市は、1987年から慶熙宮址の発掘を経て、崇政殿などの正殿地域を復元して、2002年から一般市民への公開を始めた。

    • 種目 : 史跡
    • 住所 : ソウル特別市 鐘路区 新門路2街 1-126
    • お問い合わせ : 02-724-0274~6
    • 料金 : 無料
    • 営業時間 : 09:00~18:00
    • 休業日 : 1月1日、毎週月曜日
    • 地下鉄 : 西大門駅(5号線) 4番出口 徒歩10分