跳跃

文化遺産の紹介

朝鮮王陵

恭陵(睿宗妃 章順王后) / Gongneung (Tomb of Queen Jangsun, consort of King Yejong)

恭陵(睿宗妃 章順王后) / Gongneung (Tomb of Queen Jangsun, consort of King Yejong) 恭陵は、李氏朝鮮の第8代国王である睿宗の第一王妃、章順王后(1445~1461)の陵である。章順王后は、韓明澮の三女で、1460年に王世子嬪となったが、翌年に仁城大君を生んだ後に産後の病で逝去した。成宗が王位に就いた後、1470年に章順王后として追尊された。恭陵は、王世子嬪墓の形態で、屛風石や武石人などが省略されている。

恭陵(睿宗妃章顺王后)/Gongneung
恭陵(睿宗妃章顺王后)/Gongneung
順陵(成宗妃 恭恵王后) / Sulleung (Tomb of Queen Gonghye, consort of King Seongjong)

Sulleung Royal tomb順陵は、李氏朝鮮の第9代国王である成宗の第一王妃、恭恵王后(1456~1474)の陵である。恭恵王后は、韓明澮の四女で、1469年に成宗の王位継承によって王妃となったが、5年後に逝去した。順陵は、坡州三陵にある三基の陵の中で唯一、王陵の形式で造成された。




永陵(追尊真宗と孝純皇后) / Yeongneung (Tomb of posthumous Emperor Jinjong and Empress Hyosun)

永陵は、皇帝として追尊された真宗(1719~1728)と孝純皇后(1715~1751)の陵である。真宗は英祖の長男で、1725年に王世子に冊封されたが、3年後に10歳でこの世を去った。その後、英祖の命令で異母弟である莊祖(思悼世子)の息子、正祖を養子に迎え、正祖が王位に就いた後に真宗大王として追尊された。大韓帝国宣布後、純宗皇帝の時代に皇帝として追尊された。孝純皇后は、1727年に王世子嬪となったが、夫が夭逝したため、王妃になることはできなかった。正祖が王位に就いた後は孝純王后、純宗皇帝の時代に皇后として追尊された。永陵は双陵で、世子墓の形態で造成され、表石は王世子、大王、皇帝の標石が建てられている。

永陵(追尊真宗和孝纯皇后)/Yeongneung
永陵(追尊真宗和孝纯皇后)/Yeongneung