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文化遺産の紹介

朝鮮王陵

光陵(世祖と貞熹王后) / Gwangneung (Tomb of King Sejo and Queen Jeonghui)

光陵(世祖と貞熹王后)光陵は、李氏朝鮮の第7代国王である世祖(1417~1468)と貞熹王后(1418~1483)の陵である。世祖は、世宗の次男で、初めは首陽大君として叙せられ、1455年に端宗から委譲されて王位に就いた。在位期間中、戸籍制度と号牌制(身分証)を強化し、軍制を改編して、北方の女真を撃破するなど、王権強化に力を注いだ。貞熹王后は、世祖の即位によって王妃となり、1469年に孫の成宗が王位に就いた後、朝鮮初の垂簾の政を行った。光陵は、世祖の遺言に従って王陵の石部屋をなくし、灰隔で部屋を作るなど、王陵造成の負担を軽減した。



南楊州 徽慶園(純祖の生母 綏妃) / Hwigyeongwon Royal Tomb, Namyangju (Tomb of Royal Consort U-bi, mother of King Sunjo)

徽慶園は、李氏朝鮮の第22代国王である正祖の後宮であり、23代国王純祖の生母である綏妃朴氏(1770~1822)の墓である。綏妃は、1787年に綏嬪に叙せられ、正祖との間に一男(純祖)一女(淑善翁主)を生んだ。純祖が王位に就いた後、王の生母としての礼遇を受けて生き、1822年にこの世を去った。徽慶園は、最初は楊州拝峰山(現在のソウル徽慶洞)に造成されたが、1855年に順康園の近くに移され、1863年に現在の位置に移された。徽慶園は、王陵と同様の形態であるが、封墳の屛風石と欄干石、武石人は省略された。

南楊州 寧嬪墓 / Tomb of Queen Consort Yeongbin, Namyangju

寧嬪墓は、李氏朝鮮の第19代国王である肅宗の後宮、寧嬪金氏(1669~1735)の墓である。寧嬪は、1686年に肅宗の後宮に選ばれた。換局により一度は廃位という憂き目に遭ったが、後に復位された。寧嬪墓は、一般後宮墓の形式で、封墳、文石人、床石、墓表石が設置されている。