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文化遺産の紹介

朝鮮王陵

高阳西三陵 / West Three Royal Tombs, Goyang

西三陵とは、「西にある三基の陵」を意味し、最初は中宗の第二王妃である章敬王后の禧陵が造成された。その後、仁宗の孝陵、昭顯世子の昭慶園、哲宗の睿陵が造成された。日帝強占期から、解放後の都市化に至る時期に、胎室、懿昭世孫の懿寧園、文孝世子の孝昌園、王子・王女・後宮の墓と燕山君の生母廢妃尹氏の懷墓が移されて、現在の西三陵となった。

禧陵(中宗妃 章敬王后) / Hwireung (Tomb of Queen Janggyeong, consort of King Jungjong)

禧陵は、李氏朝鮮の第11代国王である中宗の第二王妃、章敬王后(1491~1515)の陵である。章敬王后は、1506年に中宗の後宮となったが、中宗の最初の王妃である愼氏が廃位されたことにより、1507年に王妃となった。仁宗を生み、産後の病で逝去した。当初、禧陵は獻陵(太宗)西の丘に造成されたが、1537年に現在の場所に移された。

孝陵(仁宗と仁聖王后) / Hyoreung (Tomb of King Injong and Queen Inseong)

孝陵は、李氏朝鮮の第12代国王である仁宗(1515~1545)と仁聖王后(1514~1577)の陵である。仁宗は、朝鮮の歴代国王の中で在位期間が最も短かった(9ヶ月)王である。仁聖王后は、1524年に王世子嬪となり、仁宗の王位継承により王妃となった。孝陵は双陵で、前方から見たとき、左が仁宗、右が仁聖王后の陵である。仁宗の陵のみ屛風石が配置され、両封墳が欄干石で連結されている。

孝陵(仁宗と仁聖王后)/Hyoreung
孝陵(仁宗と仁聖王后)/Hyoreung
睿陵(哲宗と哲仁皇后) / Yereung (Tomb of King(posthumous Emperor) Cheoljong and Empress Cheorin)

睿陵は、李氏朝鮮の第25代国王である哲宗(1831~1863)と、哲仁皇后(1837~1878)の陵である。哲宗は莊祖(思悼世子)の曽孫で、憲宗代に逆某事件に拘り、家門全員が江華島に流されたが、1849年に純元皇后の命を受けて王位に就いた。哲仁皇后は、1851年に王妃となり、哲宗の薨去によって大妃となった。睿陵は双陵で、朝鮮王陵の形式で造成された最後の王陵である。

睿陵(哲宗と哲仁皇后) / Yereung
睿陵(哲宗と哲仁皇后) / Yereung
昭慶園(昭顯世子) / Sogyeongwon (Tomb of Crown Prince Sohyeon)

昭慶園は、李氏朝鮮の第16代国王である仁祖の長男、昭顯世子(1612~1645)の墓である。昭顯世子は、父である仁祖が反正によって王位に就いた後、1625年に王世子となった。1636年に起こった丙子の乱により、人質として清に趣くことになったが、朝鮮と清の間を仲裁し、西洋の文物を積極的に習得した。しかし、1645年に朝鮮に帰国して間もなく急逝した。昭慶園は、最初は昭顯墓として造成されたが、1870年に昭慶園へと格上げされた。

懿寧園((懿昭世孫) / Uireyongwon (Tomb of Prince Uiso)

懿寧園は、李氏朝鮮の第21代国王である英祖の孫であり、追尊莊祖の長男、懿昭世孫(1750~1752)の墓である。懿昭世孫は莊祖と獻敬皇后の息子で、2歳で王世孫に冊立されたが、その翌年に逝去した。懿寧園は、最初は懿昭墓として造成されたが、1870年に懿寧園に格上げされた。最初はソウルの北阿峴洞にあったが、1949年に現在の場所に移された。

孝昌園(文孝世子) / Hyochangwon (Tomb of Crown Prince Munhyo)

孝昌園は、李氏朝鮮の第22代国王である正祖の長男、文孝世子(1782~1786)の墓である。文孝世子は、正祖と宜嬪成氏の息子で、1784年に王世子に冊封されたが、2年後に逝去した。孝昌園は、最初は孝昌墓として造成されたが、1870年に孝昌園に格上げされた。最初はソウル龍山区孝昌公園にあったが、1944年に現在の場所に移された。

懷墓(燕山君の生母 廢妃尹氏) / Hoemyo (Tomb of Royal Consort Deposed Queen Yun, mother of King Yeonsangun)

懷墓は、李氏朝鮮の第9代国王である成宗の第二王妃であり、10代燕山君の生母である廢妃尹氏(1455~1482)の墓である。廢妃は1473年に成宗の後宮となり、1476年に王妃となった。しかし、嫉妬の罪で王妃から廃位された後、1482年に賜死(薬殺刑)に処された。燕山君が王位に就いた後、1504年に齊獻王后として追尊され、墓が陵に格上げされて懷陵と称した。しかし、1506年の中宗反正で燕山君が廃位されたため、懷墓に格下げされた。1969年に、ソウル東大門区回基洞から現在の場所に移された。

懷墓(燕山君の生母 廢妃尹氏) / Hoemyo (Tomb of Royal Consort Deposed Queen Yun, mother of King Yeonsangun)

懷墓は、李氏朝鮮の第9代国王である成宗の第二王妃であり、10代燕山君の生母である廢妃尹氏(1455~1482)の墓である。廢妃は1473年に成宗の後宮となり、1476年に王妃となった。しかし、嫉妬の罪で王妃から廃位された後、1482年に賜死(薬殺刑)に処された。燕山君が王位に就いた後、1504年に齊獻王后として追尊され、墓が陵に格上げされて懷陵と称した。しかし、1506年の中宗反正で燕山君が廃位されたため、懷墓に格下げされた。1969年に、ソウル東大門区回基洞から現在の場所に移された。

綏吉園

李氏朝鮮の第21代国王英祖の後宮であり、追尊真宗の生母である靖嬪李氏(1694~1721)の墓である。靖嬪は、1719年に英祖の長男、孝章世子を生んだ。景宗が王位に就いた後、英祖が王世弟に冊封されたことで後宮となったが、ほどなく逝去した。英祖が王位に就いた後、息子が王世子に冊封されたことで靖嬪に格上げされ、正祖が王位に就いた後、孝章世子が真宗として追尊されたことで、王の生母の地位に合わせて墓が園に昇格した。