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文化遺産の紹介

朝鮮王陵

隆陵(追尊莊祖と獻敬皇后) / Yungneung (Tomb of Posthumous emperor Jangjo and empress Heongyeong)

隆陵は、皇帝として追尊された莊祖(1735~1762)と獻敬皇后(1735~1815)の陵である。莊祖は父の英祖に代わって代理聴政を行ったが、朋党政治の葛藤の間で犠牲になり、米びつに閉じ込められて亡くなった。最初は思悼世子という諡号が贈られ、息子である正祖が王位に就いたことで莊獻世子と称された。大韓帝国宣布後は皇帝として追尊された。獻敬皇后は、息子である正祖が王位に就くと恵慶宮として叙せられ、自叙伝『閑中錄』を執筆した。隆陵は、当初は垂恩墓という名称で楊州の拝峰山(現在のソウル徽慶洞)に造成されたが、1789年に現在の場所に移された。封墳は屛風石だけで囲み、武石人が建てられた。

隆陵(追尊莊祖と獻敬皇后) / Yungneung
隆陵(追尊莊祖と獻敬皇后) / Yungneung
隆陵(追尊莊祖と獻敬皇后) / Yungneung
健陵(正祖と孝懿皇后) / Geolleung (Tomb of Emperor Jeongjo and Empress Hyoui)

健陵は、李氏朝鮮の第22代国王である正祖(1752~1800)と孝懿皇后(1753~1821)の陵である。正祖は王位に就いた後、党派や身元の区別なく、学問と能力で人材を登用し、水原の華城を建築するなどの業績を残した。本来の廟号は正宗であったが、大韓帝国宣布後に廟号を正祖と改め、皇帝として追尊された。孝懿皇后は、1762年に王世孫嬪となり、正祖が王位に就いた後に王妃となった。健陵は、最初は隆陵の東に造成されたが、孝懿皇后がこの世を去った後、現在の位置に陵が移され、孝懿皇后と合葬された。

健陵(正祖と孝懿皇后) / Geolleung
健陵(正祖と孝懿皇后) / Geolleung
健陵(正祖と孝懿皇后) / Geolleung