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文化遺産の紹介

朝鮮王陵

懿陵(景宗と宣懿王后) / Uireung (Tomb of King Gyeongjong and Queen Seonui)

懿陵は、李氏朝鮮の第20代国王である景宗(1688~1724)と宣懿王后(1705~1730)の陵である。景宗は、肅宗と玉山府大嬪(玉山府大嬪、張禧嬪)の息子で、肅宗が王位に就いたことで王位を継承した。子がなかったため、異母弟である英祖を王世弟として冊立させたが、このことで老論と少論が激しく対立し、投獄事件にまで発展した。宣懿王后は1718年に王世子嬪になり、景宗の王位継承によって王妃となった。懿陵は同原上下陵の形式で、同じ丘の上下に陵が造成されている。

懿陵(景宗と宣懿王后) / Uireung
懿陵(景宗と宣懿王后) / Uireung
懿陵(景宗と宣懿王后) / Uireung
永徽園(懿愍皇太子の生母皇貴妃) / Yeonghuiwon (Tomb of Hwanggwibi, Mother of Imperial Crown Prince Uimin)

永徽園は、大韓帝国初代皇帝である高宗の後宮であり、懿愍皇太子の生母である純獻皇貴妃嚴氏(1854~1911)の墓である。皇貴妃は、1859年に宮女として入宮し、明成皇后に仕える尙宮となった。明成皇后がこの世を去った後、1896年に日本を圧迫するために俄館播遷を計画した。また、新教育に関心を持ち、養正義塾と進明女学校、淑明女学校の設立を助けた。永徽園は、王陵と同様の形態であるが、封墳の屛風石と欄干石、武石人が省略されている。

崇仁園(李晉元孫) / Sunginwon (Tomb of Prince Lee Jin)

崇仁園は、懿愍皇太子と懿愍皇太子妃 李氏の長男である李晉元孫(1921~1922)の墓である。元孫は日本で生まれ、1922年に皇太子と共に一時帰国したが、日本に戻る前日に逝去した。純宗皇帝の命令で特別に園の形式で墓が造成された。