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文化遺産の紹介

朝鮮王陵

思陵(端宗妃 定順王后) / Sareung (Tomb of Queen Jeongsun, consort of King Danjong)

思陵は、李氏朝鮮の第6代国王である端宗の王妃、定順王后(1440~1521)の陵である。定順王后は、1454年に王妃に冊封されたが、翌年に端宗が世祖に王位を委譲して王大妃となった。1457年に端宗が魯山君に降格されると、郡夫人に降格され、現在の東大門の外で生活した。生涯にわたって端宗を偲びながら暮らし、肅宗の治世である1698年に端宗が王に復位されたことで、定順王后として復位された。思陵は屛風石と欄干石を省略し、武石人を建てなかった。

思陵(端宗妃 定順王后) / Sareung
思陵(端宗妃 定順王后) / Sareung
南楊州 光海君墓 (Tomb of King Gwanghaegun, Namyangju)

光海君墓は、李氏朝鮮の第15代国王である光海君(1575~1641)と廢妃柳氏(1576~1623)の墓である。光海君は宣祖と恭嬪 金氏の息子で、1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)が起こったときに王世子に冊封され、1608年に王位に就いた。在位期間中は、文禄・慶長の役後の復旧事業に力を注ぎ、京畿道に大同法を実施した。しかし、1623年の仁祖反正で廃位され、流刑地の済州道で逝去した。廢妃柳氏は1592年に王世子嬪となり、光海君の王位継承によって王妃となったが、1623年に廃位された。

南楊州 成墓 (Seongmyo Royal Tomb, Namyangju)

成墓は、李氏朝鮮の第14代国王である宣祖の後宮で、15代光海君の生母の恭嬪金氏(1553~1577)の墓である。恭嬪は宣祖の息子(臨海君、光海君)を生み、1577年に逝去した。息子の光海君が王位に就いた後、1610年に恭聖王后として追尊され、墓が陵に昇格して成陵となった。この際、王陵の形態に合わせて文石人、武石人、欄干石などが建て直された。しかし、1623年に光海君が廃位されたことで再び恭嬪となり、成陵を成墓とした。

南楊州 安嬪墓 (Tomb of Queen Consort Anbin, Namyangju)

安嬪墓は、李氏朝鮮の第17代国王である孝宗の後宮、安嬪李氏(1622~1693)の墓である。安嬪は、丙子の乱の後、人質として清に趣く孝宗に同行して仕えた。孝宗が王位に就いた後に後宮となり、1693年に逝去した。安嬪墓は一般後宮墓の形式で、封墳、文石人、床石、墓表石が設置されている。