愛蓮池と倚斗閤
君子の人柄をあらわす景色. 1692年(肅宗 18)に池の中に島を作って東屋を建てたというが、現在その島はなく、東屋は池の北側にある。蓮の花が特に好きだった肅宗は、この東屋に‘愛蓮’という名を付け、池も愛蓮池となった。肅宗は‘私が蓮の花を愛するのは汚い所にあって も清くて美しい強さを秘めながら世俗に染まらない君子の姿と似ているからだ’と新しい東屋の名前をつけた理由を明らかにした。愛蓮池の西側の演慶堂との間にもう一つの池があるが、元々ここに魚水堂という建物があったという。1827年(純祖27)孝明世子(孝明皇太子)は愛蓮池の南側に倚斗閤をはじめ、いくつかの建物を建て 塀を作った。現在‘奇傲軒’という扁額の付いた倚斗閤は、8間の小さな書斎で、丹靑(彩色)も施されていない非常に質素な建物である。すぐとなりの韻磬居は宮内で最も小さい一間半の建物だ。